みなさん、こんにちは。ハリーです。
今回は映画『グレイテスト・ショーマン』の感想・レビューです。
本記事は本編のネタバレを含むので、ネタバレ苦手な方はご注意ください。
それでは、いきましょう!
Contents
グレイテスト・ショーマン:アカデミー賞ノミネート!
あらすじ
舞台は19世紀のアメリカ。実在した興行師「P・T・バーナム」の半生を描いたミュージカル映画。
幼いころに両親を亡くし、ニューヨークの片隅で妻チャリティと2人の娘とつつましい暮らしをしていたバーナム。
ある日務めていた貿易会社が倒産したことをきっかけに古今東西の奇妙なもの不思議なものを集めた「バーナム博物館」を開く。
しかし、客入りはいまいちで途方に暮れていたところ、娘の言葉をきっかけに今までだれも見たこともないショーを作ることを決意する。
小人症や髭女、結合双生児など、社会からはみ出しひっそりと暮らしていた人々をスカウトし、サーカスの興行を始めた。
バーナムの作る型破りなショーは連日、大盛況になったが、批評家からは酷評される。
そこで、バーナムはさらなる成功を求めて、社交界で若くして成功した劇作家のフィリップをスカウトする。
ついには、ヴィクトリア女王への謁見を果たし、バーナムの興行は順風満帆に見えたが・・・
スタッフ・キャスト
監督のマイケル・グレイシーは本作が長編映画デビューです。これまではミュージックビデオやCMを手掛けていました。
楽曲を手掛けるのは、『ラ・ラ・ランド』でアカデミー賞「主題歌賞」を受賞した ベンジ・バッセクとジャスティン・ポール のコンビです。
『ラ・ラ・ランド』では、主に作詞を担当していたふたりですが、本作では一転、エネルギッシュで生命力あふれるナンバーを数多く作曲しています。
主役を演じたのは『X-MEN』シリーズのウルヴァリンでおなじみのヒュー・ジャックマン。実はトニー賞(2004年)の受賞経験もあるほどの歌って踊れる俳優なのです。
バーナムの相棒役フィリップを演じるのはザック・エフロン。『ハイスクール・ミュージカル』シリーズで一躍有名になりました。
一座の花形、空中ブランコ乗りの黒人少女を演じるのはゼンデイヤ。『スパイダーマン:ホームカミング』MJに続いて話題作への登板です。
キアラ・セトルは本作が2作目の映画出演。これまではブロードウェイを中心に活躍して来ました。
本作では、体の芯から奮い立たせるような力強い歌唱で圧倒的な存在感を放っています。
より詳しい情報は公式サイトまで。
『グレイテスト・ショーマン』感想(ネタバレあり)
開幕から圧巻のショーシーン
映画は冒頭、圧巻のショーシーンで幕を開けます。
シルクハットを目深にかぶりステッキを片手に男のシルエットが浮かぶ。
低音ボイスでの独唱と観客のステップが呼応する。徐々に地鳴りのようなコーラスが強さを増していきます。
観客の期待感が高まってきたところで、炎と共に一気に画面は色彩豊かに。奇妙奇天烈な扮装の団員が所狭しと踊り歌い、観客は一気に作品世界に引きずり込まれます。
タイトルと同じ『Greatest Show』と名のついている楽曲から幕を開ける本作品ですが、どのミュージカルシーンも楽曲と映像が完全にかみ合っていて、非常に完成されたミュージック・ビデオようでした。
もともとミュージック・ビデオやCM制作出身の監督だけあって、光の使い方、カメラワークまでワンカットへの徹底的なこだわりが感じられました。
ストーリーは意外とあっさり、だがそれでイイ
一方で、本筋のストーリーの描き方はなかなかにあっさりしています。
と言うよりも結構ご都合主義的な展開も。
主人公のバーナムは幼いころに両親を亡くして貧乏暮らしですが、子供のころに結婚の約束した良家のご令嬢はすんなりと貧乏暮らしについてきてくれます。
サーカスショーを初めてからはトントン拍子で成功し、果てはヴィクトリア女王への謁見までかなってしまいます。
通常シーンは映像も比較的平凡で、すこし退屈してしまうかもしれません。
しかし、お話が展開するタイミングで必ず入るミュージカル・シーンが来るとそれまでの退屈な展開など頭から吹き飛んでしまいます。
多種多様な人間が一同に会してエネルギッシュに歌い踊るエモーショナルなシーンには歓喜せざるを得ません。
”エンターテイメントはこうだ!”と言わんばかりに娯楽全振りな映画なのですが、作中のバーナムの「お客が喜ぶものを提供するだけだ」というショーへの向き合い方とも呼応しており、面白い構造になっています。
マイノリティへの力強いエール
本作で描かれる大きなテーマに「マイノリティの自己肯定」があります。
Look out ‘cause here I come
(見てなさい、私が行くわよ)
And I’m marching on to the beat I drum(自分のビートに乗って私は進むのよ)
『This is me』Justin Paul / Benj Pasek
I’m not scared to be seen
(見られることをおそれはしない)
I make no apologies, this is me
(私は謝ったりなんかしない、これが私だもの)
中盤、ショーの成功を祝うパーティーの場で、バーナムは集まる貴族たちの目を気にして、あろうことか団員をパーティーの場から追い出してしまいます。
除け者にされてしまった団員たちはもとの差別された日陰者に戻るのかと無力さを感じてしまっていたところ、髭女のレティは静かに歌い始めます。
かつては街の片隅で自分の存在を隠してひっそりと暮らしていた団員たちですが、輝ける場所を知ってしまった彼らがその場所に戻ることはできませんでした。
自らを奮い立たせるように大地を踏み鳴らしてビートを刻み、魂を吐き出すような歌声には心を震わさずにはいられません。
階級社会も根強い差別にも真正面から向き合い輝く姿は、人間だれしもが持つマイノリティ性へのエールにも感じることができました。
アナタは自らの力でアナタを輝かせることができるんだと。
バーナームが本当に追い求めたものとは?偽物が本物になる
本作では、バーナムの心境の変化に伴って、偽物と本物ということが強調されていきます。偽物がバーナムの作る奇想天外で型にとらわれないエンタテインメントショー、本物が伝統と格式を重んじる拡張高い舞台演劇であると描かれています。
中盤以降、バーナムは徐々に、本物を求めることに固執するようになります。
ショーは毎公演、満員でも批評家からは偽物と酷評され、貴族からは一向に見向きもされません。
そんな中、バーナムは歌姫ジェニー・リンドに出会います。社交界の売れっ子である彼女を使ってさらに成り上がろうと画策します。
これまで築き上げて来た自らのショーを偽物と呼び、団員たちを置き去りにして、本物であるジェニー・リンドを連れて全米ツアーに出かけて行ってしまいます。
しかし、バーナムはジェニーとのスキャンダルによって名声のすべてを失い、再びどん底に落ちてしまいます。どん底に落ちた彼を救ったのは、自分が見放した団員たちでした。
バーナムががむしゃらになって作り上げた偽物は紛れもない本物を作り出していました。
それは、団員たちとの絆であり、家族愛であり、観客の笑顔でした。
情報が氾濫し、SNSなど常に人目を気にしなければいけない現代では、ついつい形式や対面にとらわれて本質を見失ってしまいがちになります。
そんな中、『グレイテスト・ショーマン』は、自分が信じたものをがむしゃらにやればいい。信じたものこそが本物になるんだと鼓舞してくれています。
おわりに
決して、巧みな構成があったり、唸るような心理描写があるような上等な映画ではありません。
しかし、星のような輝きをもつ数々のミュージカル・シーンに圧倒されて、歓声を送ることが我慢できないような映画でもあります。
この映画は、どんなに落ち込んでいても見れば幸せな気持ちになる、何度あきらめても観れば夢を見たくなる、そんな映画です。
ぜひ、この映画を観て夢を見てほしいです。
グレイテスト・ショーマン (字幕版)
グレイテスト・ショーマン(オリジナル・サウンドトラック)