どうも。こんにちは。ハリーです。
今回は、映画『パラサイト 半地下の家族』の感想・考察です。
今すぐ、読むのをやめて映画館へ直行してください!
唐突で申し訳ありませんが、本作、それほどに面白いのです。新年早々に2020年ベスト10に入りそうな作品に出合ってしまいました。
ブラックユーモアと怒涛の展開の連続で観客を惹きつけ、時間を忘れさせてしまう作品です。
本当は、予告編もあらすじも見ずに劇場へ足を運んでほしいくらいなのですが、情報をいれてから観たい派、本編鑑賞後の方向けに感想考察を述べていきます。
本記事は本編のネタバレを含むので、ネタバレ苦手な方はご注意ください。
それでは、いきましょう!
ポン・ジュノ監督からの直々のネタバレ厳禁のお願いをされてしまったので、出来るだけ本文の後半までネタバレなしで語っていきたいと思います。
Contents
あらすじ
キム一家は4人家族で半地下に住んでいるが、全員が失業中。ピザケースを組み立てる内職でなんとかその日暮らしをしていた。
父ギテクは、過去に台湾カステラの事業を立ち上げてみたこともあるが、悉く失敗。今では貧困から這い上がる気力も無くしてしまったように見える。
母チュンスクは、うだつの上がらない夫ギテクに厳しく当たる。
息子のギウは、大学受験に4回も失敗して浪人生活から中々抜け出せていない。
娘のギジョンは、器用で才能もあり、美大進学を目指しているが、予備校に通う金もなく、くすぶっている。
ある日、ギウの友人ミニョクが訪ねてくるところから物語は始まる。自分が海外留学する間、ギウに高台に住む裕福な一家のところで女子高生の家庭教師をやってほしいと言うのだ。
IT企業の社長パク・ドンイクの家を訪れたギウは堂々とした態度と受け答えで見事に母ヨンギョと娘のダヘの信頼を勝ち取る。
息子ダソンは、 情緒不安定で手のかかる が美術の才能がある。母ヨンギョは優秀な美術教師を探していた。
ギウは、知り合いに優秀な美術教師がいると提案する。
翌日ギウがパク一家に紹介したのは、美術教師に扮した妹ギジョンであった。
スタッフ・キャスト
監督・脚本ポン・ジュノは韓国の売れっ子監督。
『グエムル-漢江の怪物-』でもとんでもない事態に巻き込まれていく普通の家族を巧みな描写で描いていました。本作『パラサイト 半地下の家族』でも巧みな人物配置で、観客をグイグイとストーリーに惹きつけていってくれます。
撮影ホン・ジョンヒョは、 監督ポン・ジュノとは『母なる証明』、『スノーピアサー』に続く、3度目のタッグです。 本作でも印象的なカメラワークが多く、その手腕を発揮してくれています。
ソン・ガンホは本作で監督ポン・ジュノとは 『殺人の追憶』、『グエムル-漢江の怪物-』、『スノーピアサー』に続いて4度目のタッグです。
本作では、セリフがないシーンでの表情が秀逸です。”目は口ほどにモノを言う”を地で行っています。
本作は、韓国映画の人気者が多数出演しているので、韓国映画好きの方は楽しめるはずです。
より詳しい情報は公式サイトでご確認ください。
映画『パラサイト 半地下の家族』感想・考察
ブラックユーモア溢れる序盤
この映画、冒頭のシーンからブラックユーモアで観客を笑わせてくれます。
(C)2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED
冒頭、半地下の窓から地上を見上げる映像からスターとします。息子のギウと妹のギジョンは上の階の住人のWiFiが拾えなくなったとスマホ片手に家の中をウロウロ。
ようやく電波が拾えたのは家の中で一番高い場所である便所付近。
この数分のシークエンスで主人公一家の住む”半地下”の状況が自然に理解できる作りになっています。
常にジメジメしているし、ゴキブリはうろつくは、窓を開けていると通りで撒く消毒剤が部屋に充満するわと、半地下での生活は中々に厳しい。
家族で精を出すピザケース作りの内職でも、完成度が悪いとピザ屋のアルバイトから賃金を値切られる始末。
一介のアルバイトからも軽んじられるところにキム一家の半地下生活が格差の階層でもかなり下に位置することがわかります。
この社会は幾重にも格差の階層があることが仄めかされているシーンだと思われます。
彼らの生活は滑稽なほど悲惨で、不謹慎ながら笑ってしまうんですよね。
キム一家が高台のお金持ちパク一家にパラサイトしていく過程で 、ブラックユーモアがさらに爆発して行きます。
あの手この手と悪知恵を働かせて、ひとりまたひとりと、パク一家の中で立場を得ていく様は、貧困版『オーシャンズ11』といった感じ。
キム一家と対比で配置されたお金持ちのパク一家が非常にステレオタイプで誇張されたキャラクターなんとも笑いを誘います。
擦れに擦れて悪知恵が働くキム一家に対して、裕福で気持ちにも余裕があり、人を疑わないパク一家。
恐らく多くの観客はキム一家の視点でパク一家を観察すると思いますが、私はパク一家の生活のあり様に不思議と居心地の悪さのようなものを感じました。
キム一家の、豊かな生活に焦がれるけども馴染めないという状況を感じ取ったからなのかもしれません。
パク一家の母ヨンジョがテンションが上がるとルー大柴ばりの英語交じりで話すところには悔しいけど毎度笑ってしまいました。
劇場でもヨンジョが登場するたびに笑いがおきていましたね
作中で”象徴的”に用いられるモチーフたち
文学の技法に「チェーホフの銃」というものがあります。
「誰も発砲することを考えもしないのであれば、弾を装填したライフルを舞台上に置いてはいけない。」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 チェーホフの銃
これは、ストーリーで序盤で提示されたモチーフが、後段の展開で重要な要素になるという手法のことで、逆に言うと、ストーリーに不要なものは作品に配置してはならないという掟とも言えます。
本作はまさに「チェーホフの銃」のとおり、作品のテーマを語る上で重要なモチーフが序盤から多く散りばめられています。
作中、父ギテクや息子ギウが繰り返し発言する”象徴的だ”というセリフも、この作品に多くのメタファーが隠されているということを暗示しています。
ここでは作中で重要になるモチーフについていくつかピックアップして紹介します。
坂・階段
(C)2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED
本作では坂や階段といった”上下”を意識させる構図が多用されています。
坂を上って上ってたどり着くパク家。ギウがパク家を訪問する際、極端に引きの画で、ギウが画面上にフェードアウトしていくカットがあります。
ここで観客は視覚的な高低差によってキム一家とパク一家の貧富の差を意識させられます。
窓
(C)2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED
「窓」も印象的なモチーフのひとつです。
パク家のリビングは壁一面がガラス窓になっていて、外の景色がショーウィンドウのごとく感じられる作りになっています。
ここで、「窓」はこちら側とあちら側を隔てる”見えない壁”と見なすことができます。
作中、パク家のお庭でホームパーティーが開かれる場面があるのですが、家庭教師として潜り込んでいるギウはパーティーには参加せず、どこか心ここにあらずといった感じで窓辺から外の様子を眺めています。
窓から見える形式は理想の裕福な生活のはずですが、どうしてもそれを現実のものとして見ることができない。
この作品に登場する窓越しの景色はアナタにはどのように映るでしょうか。
臭い
中盤以降、特に強調されるモチーフとして「臭い」があります。
身分を偽り、上流階級の生活に寄生してみたところで、元来の貧困ゆえのさもしい様のようなものを本作では「臭い」という形で表現されています。
食事姿というものはその人の人間性を端的に表してしまうものだと思います。
中盤、キム一家全員が寄生することに成功し、勝利祝いの宴を開くシーンがまさにそこをありありと描いています。
テーブルには食い散らかした食事が散乱し、ソファに寝そべりながら腹をかく。酒はボトルからラッパ飲み。
せっかく半地下から脱出して、裕福な生活に寄生することに成功しても、体に染みついた所作は変わらない。行動の端々から”貧しさ”を感じさせてしまう。それは一度染みついたら拭えないまさに「臭い」であると言えます。
次からは作品の重要な部分についてのネタバレを含むので、この映画を本当に楽しみたい方は今すぐブラウザを落として映画館へ向かいましょう。
下には下が・・・(ここからネタバレ含みます)
寄生先のパク一家が息子ダソンの誕生祝いにキャンプへ行き、家を空けた嵐の夜。
キム一家は勝利を祝うかのようにリビングで一家揃って酒盛りをしていた。
そこにひとりの訪問者が現れる。それは、かつて自分たちが寄生するために追い出した元の家政婦だった。
ここからブラックユーモアに頬を緩めていた観客も表情を強張らせていきます。
なんと、元家政婦はパク家の秘密の地下シェルターで人知れず自分の夫を匿っていたのです。
ここで、単なる”裕福な一家と貧困の一家”という構図は崩れ去り、自分たちですら最下層ではなく、さらに惨めな生活を強いられている人間がいたということを突き付けられます。
この社会は幾重にも格差が折り重なるようにして形作られているということが示されます。
この展開にはホントに驚きました
ここからはキム一家と家政婦夫婦の取っ組み合いのバトルがスタート。どちらも今の立場を死守するため、それはものすごく泥臭くて惨めなバトルが繰り広げられます。
しかし、嵐のせいで予定を切り上げたパク一家が突然の帰宅。豪邸脱出ステルスミッションをなんとかクリアしたキム一家は家政婦役の母チョソクを残して、半地下の家へと帰っていきます。
ここで、改めて高台のパク一家の豪邸とキム一家の半地下の位置関係が明らかになっていきます。
ひたすらに階段を下ること下ること。一体いつまで下ればたどり着くんだというほど。
ここで、嵐と街が大きな舞台装置として機能します。
下りに下ったところにあるキム一家の半地下は豪雨で完全に浸水してしまっています。
下水より低い半地下は、逆流した汚水まみれ。
パク一家のリビングで談笑しながら眺めていたはずの雨によって、自分たちの本来の生活は徹底的に破壊されてしまう。
”上下”の差が生死すらも左右してしまうほどに絶望的な格差があることを示しています。
キム一家が避難所で雑魚寝を強いられている中、パク一家から台風一過で晴れたからホームパーティをしましょうと誘われるあたり、なんとも風刺が効いています。”上”の人間は”下”の状況に毛ほども関心がないんだと。
最後にそれでも残っていたものは・・・
終盤、父ギテクは決定的な行為を行ってしまいます。
なぜ、彼があのような行為を行ってしまったのかは、やはり「自尊心」だと考えられます。
明日食う飯も怪しいキム一家でしたが、家族仲はよく、なんだかんだこの生活を受け入れ楽しんでいる節もありました。
しかし、なにもない生活でも捨てきれないものが「自尊心」だったと。
嵐の夜、豪邸でステルスしているときに、パク一家がギテクの「臭い」について言及します。顔を背けるように鼻をつまむ仕草が、ギテクに突き付けます”どこまで行っても自分たちは「下」の人間であり、彼らは自分たちを見下していると”。
やはり、どこまでいっても自分は上にはいけない。なぜなら寄生するには上のものがいなければならないのだから。
おわりに
本作は、韓国で深刻な問題となっている格差社会を題材としていながら、単なる社会風刺映画に終わっていないところが秀逸です。
社会風刺でありながら、笑えるコメディ作品であり、ハラハラドキドキのサスペンス作品でもあるという傑作でした。
ぜひ、今年の映画体験は映画『パラサイト 半地下の家族』から、はじめてみてください。
それでは、また次の映画でお会いしましょう。